適当な開放

私の2020年を一語で表すと「開放」になる。記録として簡潔に書きたい。


始まりは違和感だった。その正体は、成長か飽和か、断念か嫌悪か。季節や疫病の影響の可能性もある。あるいは単なる誤解かもしれない。直視するのは不本意でも、避ければ待つのは破滅だと解って。唯一の術は、目の前の事象も己の中の感覚も、現実として認め受け容れること。それは、自らに課していた制約を外していく行為でもあった。内への開放である。


結果として外への開放が可能となった。否、必要となったのだ。当初は部分的に、目的達成の手段として。しかし思考を一度ニュートラルに入れたことで、エラーの発生源である論理の破綻と限界が見えてきた。好きとか嫌いとか欲しいとか、ウソとかホントウとか。それらを再構築し、新たな刺激を得ているのが今。頑とした自分はもう不要になったのだ。さようなら。


特に師走は思考が行ったり来たりした。自己矛盾に疲れることもあった。けれど、本質に少しだけ近づけた実感はある。正しさや美しさに固執するのは止めて、幸せになろう。