正しい不正解、誤った正解

一人で生きる。そう決めている。決めていることにしている。ここで書く「一人」とは、世帯人数/パートナーの有無、という文脈での意味。友人や広義での労働者との関係は不可欠な要素、寧ろ条件だ。


これは必然的な帰結である。


私は共同生活に適していない。簡潔に表せば人間性の問題だと認識している。また私の容姿と声は、自分を含めそれらを見聞きする人に好ましい感情を生じさせるものではない。始末が悪いとはこのこと。

負わずにいたいという願望もある。自由は貴く、阻害要因は少ない方が良い。逃避だとしても、だ。否、限りなく未熟で不完全な人間には、選択肢が他に無いとも考えられるが。


この世界は資本主義で、大半の幸福は金銭と交換できる。その点では、主として必要なのは高い経済力であり、世帯の構成やそれに類する概念は重要な事項ではない。これは本音。


でも。

満たされることはないだろう、と思う。心の隙間を確かに埋められるのは、文字通りの性愛だけだと。誰にも甘えない人生、虚しかったんだ。

「一人で生きるより/永久に傷つきたい」という宇多田ヒカルの言葉は、本質を突いている。