命という季節

窓を開けて少し冷たい風が吹き抜けるのは、いつ以来だろう。9月に入り日没も早くなったが連日30°C超え、と母が嘆いていたところに。聞こえてくる虫の声も変わった。夏の終わりか。半月も経てば10月が来るのだと知り納得する。空気は季節を最も直に感じられるもの。ここで言う季節とは、単に美しい四季の意味だけでなく、人生の全ての瞬間であり、絶対的な時の流れである。


資本主義の世界に生きる我々は、(少なくとも概念的には絶対に)しなければならないことがある。仕事、というやつだ。仕事では一般に、生産性や効率性の積極的な追求を是とする。多忙を極める日々に、心身を削るなど。競争の中で利潤を最大化するには必要なことのようだ。稼ぐ者が正義。幸せの大半はお金で買えるからである。

 
私は、空気を読むことが好きだ。愚かな人間社会における愚かな忖度文化を指しているのではない。時間の中に在って、五感を頼りに、季節を生きる実感を得ること。経済には縁遠い営みだ。「タイムイズマネー」を叫ぶ人々には、時間の浪費=無価値な活動だと映るだろうが、私は唯一無二の体験として尊んでいる。お金で買えない幸せなのだ。


お金と時間の使い方は個人の尊厳に関わることであり、他者に干渉する権利は無かろう。誰かが実質的な不幸を被った場合はその限りではないけれど。