生きやすく死にやすく

自室の片付け。数日を費やして大半は終わった。


5年前の引っ越し(当時中学生、時の流れ…)では、当然ながら荷物を移行することが最優先事項であった。ダンボールに雑に詰め込んだものも多数。今回はそれらを全て一旦出し、整理・整頓することにした。


論理的に考えれば簡単で、不要なものを処分し、残ったものは使用頻度や分類別に収納場所を決定すれば良い。気が遠くなる作業にも思えたが、これを怠ると将来的に再び部屋が散らかる。収納棚の配置も変えた。


ただし、〈使う/使わない=必要/不要〉という等式が成り立たないことが最大の障壁だ。一切の感情を排除するというのは、生きている私にはできない。思い出や記念というのは扱い難いものである。


また、何かを捨てるという行為は苦しい。作った人や与えてくれた人の思いを想像して。中古品として誰かが引き継いでくれれば平和的だが、そう上手くもいかない。初めから物を増やさないのが、自分には最善なのだ。


今回の片付けで、部屋のどこに何があるか、ほぼ全て把握できた。

祖父が生前に買ってくれた玩具を大切に保管していることも改めて確認し、心が安らいだり。反対に、幼い頃に愛おしんだぬいぐるみが見当たらず、心が荒んだり。


片付けるのは、生きやすくするため。一方で、死にやすくするためでもある。と書くと語弊があろうか。「身辺整理」という言葉を用いる。明日にでも死ぬ可能性は、ゼロではない。皆同じく。