美しい方が美しい

今、日本語が気になる。言葉が変化するのは当然で、事実、誤りとされていた言葉が広く定着したり公に容認されたりすることは少なくない。でも、気になる。


例えば「ら抜き言葉」(標準語としては誤りだ)は、可能の意味しか持たないため、受身や尊敬との識別をしやすくするという点では合理的であり、進化とも言えよう。しかし、単なる無知無学による使用であれば、退化としか思えない。それに、「ら」を抜くと極めて不自然になる動詞もある。


正しさを求めずして美しさを求めるのは、至難の業である。