自己同一性から

この先の人生で避けて通ることができない祖母や愛犬の死を、私は乗り越えられるだろうか。きっと、人一倍時間が掛かると思う。想像するだけで涙が溢れるのだから。幼い頃から変わっていない。

でも。死というのは命を持った者が必ず迎える現象だ。だから、死から目を逸らすようなことがあれば、それは彼らが生きた事実を認めないということに等しい筈である。況して私自身、彼らの存在によって永らえているのだ。

冒涜はしたくない。正しく悲しみ、そして最大の感謝と讃美で見送れるよう、強くなりたい。


宇多田ヒカルが「私という存在は母から始まったんだから、彼女の存在を“気配”として感じるのであればそれでいい」と語っていたことを思い出した。そういうことか。